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楽園の愚者達

第一章

 浅い眠りの中で、誰かの声を聞いていた。
(僕のことを許して)
 胸に木霊する想い。
(嫌いでもかまわない)
 声は哀しみに満ちていた。目を覚ませば、その哀しみは自分のものになってしまう。
(――君を守る)
 胸を苛む想いに捕われてしまう。
 許されない罪を犯した。目覚めれば全てが明らかになる。
(生きていて、死なないで)
 生きていては、いけなかった。
(諦めないで、――傍にいて、……)
「―――っ」
 誰かに呼ばれた気がして、彼女は目が覚めた。飛び込んできた陽光に目を焼かれながら、辺りを見回す。
「ここ、は……?」
 知らない部屋だった。殺風景ではなく、傍には小さな本棚や机がある。そのどれもが使い古されたように年季が入っていた。
 目覚めるまで長い夢を見ていたような気がするが、思い出すことができない。
 彼女はそっと寝台から半身を起こす。起き上がった瞬間、左腕に刺すような痛みが走った。
 見ると、腕から細い管が伸びている。半身を起こしている彼女よりも高い位置から、点滴が器具にぶら下げられていた。ゆっくりと透明な管へと、一滴が落ちるところだった。
 点滴を外していいのかわからず、彼女は身動きできない。身体はけだるく、重たかった。
 自分では説明のつかない状況に途方にくれながら、窓の外に目を向ける。昼過ぎの光線に照らされた木々が、穏やかに庭を飾っている。落葉樹の紅葉が鮮やかで、秋も深いのだろう。部屋の中は暖かいが、外の気温は想像以上に寒いのかもしれない。
 窓からは庭先だけしか見えず、場所を特定できるようなものは目につかなかった。
 その時、ふいに物音がした。トタトタと部屋の向こうを歩いてくる足音。緊張がかけぬけて、彼女は知らずに毛布を手繰り寄せて抱えた。
 思わず息を殺して見守っていると、何の合図もなく扉が開かれる。
「―――っ」
 入ってきた青年はぽかんと彼女を見た。年齢は二十歳位だろうか。すらりとした細身の体格。肥沃な大地を思わせる焦茶の髪と、黒硝子のような瞳。起き上がっている彼女と視線が合うと、深い色合いの瞳に、動揺が揺らめいた。
「……る」
 よく聞き取れない呟きがあった。彼が名を呼んだようにも思えたし、単に驚きのために発した声だったのかもしれない。
 彼女は緊張を解かず、現れた青年に問いかけた。
「あなたは誰?ここは、どこですか」
 喉が渇いていることに気がついたが、彼女は青年の答えを待った。彼は喰い入るように彼女の目を見つめてから、ゆっくりと息をはいた。その一連の仕草に、どのような思いがこもっているのかわからない。
 彼は頭を垂れて、しばらく立ち尽くしていた。彼女がもう一度問いかけようとすると、意を決したように顔を上げて、笑顔を作った。人懐こい微笑みだった。
「僕は、河原貴秋(カワハラ タカアキ)。――君は、この家の前に倒れていたんだ。僕はそれを介抱しただけ。ずっと目を覚まさないから、もしかしてこのまま目覚めないのかと思っていたよ。だから、君が起き上がっているのを見て、すごく驚いた」 
「倒れていた?私が?」
 貴秋と名乗った青年は、困ったように頷いた。
「その理由を僕に聞かないでね。僕の方が知りたいよ」
 寝台の近くまで歩み寄ってくると、彼は傍にあった椅子に座る。古びた椅子は、彼の動作に合わせてギッギッと音をたてた。彼女の細い腕をとると、貴秋は慣れた手つきで点滴を外す。
「とりあえず、君の名前を教えてほしいな」
「あの、ごめんなさい。いろいろとご迷惑をおかけしたみたいで。私は、―――」
 ためらわずに名乗れるはずだった。自分の名がわからないなんて、ある筈がない。
 ないのに。
「私―――」
 名乗ることが出来なかった。自分の名前がわからないのだ。まるで些細なことを忘れるような呆気なさで、名前を思い出すことが出来ない。倒れる前のことを思い出そうとしても、何の断片も浮かんでこない。
「私の名前……、どうして。忘れるなんて……」
 自身を証明するものが、自分の中に何もないのだ。必死になればなるほど、すがる確かな物がないことを思い知って、愕然とした。
「どうしよう、私……、ごめんなさい。何も、わからない」
 こみ上げた混乱が、涙へと姿を変える。何が起きたのか、まるで訳がわからない。果てなく広がってゆく不安。
 振り返っても、振り返っても、記憶の中に自分の手掛かりを見つけることができない。
 過去を辿ろうとすると、真っ白な壁が行く手を阻む。
 遮断された向こう側をのぞく事ができないのだ。
「どうして、こんなこと」
「落ち着いて」
 渦中から連れ出すように、はっきりとした声が響いた。彼女は傍にいた貴秋の存在を思い出して、濡れた眼差しを上げる。すがるように彼を見つめた。
「長く眠っていたから、一時的に思い出せないだけかもしれない」
 広がる混乱が、その言葉で断ち切られる。彼女は少しだけ落ち着きを取り戻して、涙を拭った。
「長くって、私はどの位眠っていたんですか」
 彼の深い色合いの瞳に、微妙に戸惑いが走った。答えていいのか迷っているようだったが、教えてくれた。
「――ちょうど一ヶ月くらいかな」
「そんなに?」
 彼女は知らずに、掌で針の通っていた左腕をおさえていた。点滴が必要なのも当たり前だ。けれど、室内を見回しても、そのような設備がこの木造家屋に似合うとは思えない。ここが病院であるとは思えなかった。
「ここは、どこなんですか」
「もっと気安く話してくれた方が嬉しいな。見た感じ、僕達は同じ位の年だろうから」
 彼の提案に素直に頷いた。自身の名前すら覚えていないのに、彼女もそんな気がしていたのだ。彼に必要以上に警戒しないのは、そんな気安さのせいかもしれないし、彼の人懐こい微笑みのせいかもしれなかった。
「ここは、島国(トウコク)の最北。北海地区の西南にある町だけど。僕の言っていることはわかる?」
 彼女が頷くと、彼は確かめるように更に続けた。
「この島国を取り囲むように、両側に二つの大陸があるよね。東の大陸には陸国(リッコク)。西の大陸には、才国(サイコク)と央国(オウコク)。それで四大国。あとは大小、様々な国がひしめいている。四大国、十中国、三十小国。わかるかな」
「わかるわ。島国は更に四十の地区で分割されていて、北海地区はあなたの言うとおり最北にある雪深い土地」
 言いながら、彼女は窓の外を見た。北海地区は豪雪な土地だという認識があった。木々の姿からは、冬を間近に控えた時期にも見える。
「ここにも、雪が降るの?」
「もちろん降るよ。北海地区の更に北はもう積もっているかもしれない。西南はまだ、北海にしては暖かい方だね。今は十月だけど、降り始めるのは十二月のはじめ。君がもしこの土地の人間じゃないのなら、君が思っているほど西南は雪国じゃないと思うよ。それほどひどい積雪もない」
「あなたは、この土地の人?」
「出身は島国だけど、残念ながら北海地区の生まれじゃない。僕は西の大坂地区の生まれだ。ここには、一年位前から住んでいる」
「一人で?」
「そうだよ。ここは僕の住まいであり、表向きは診療所。だから、君の面倒を見ることができたわけ」
 彼はベッドの片隅にぶら下げられた点滴の器具を指差した。
「家の造りからは、そんなふうには見えないかもしれないけど。簡単な入院の設備は揃っているよ。田舎の診療所は、どこも家庭的だと言うから。都市部とは在り方が違うのかもしれない」
「だけど、あなたがお医者様っていうこと?そんなに若いのに?」
 彼の話し方があまりに打ち解けているので、彼女もいつの間にか警戒心を解いていた。
「頼りないっていうこと?」
 貴秋は悪戯っぽく笑う。彼女は慌てて「違うの」と否定した。
「だって、お医者様って、大学院とか行って学ぶんじゃないの?私もよく知らないけど」
「まぁ、島国ではそれが一般的かな」
 貴秋は自身の財布を持って来る。無造作に突っ込まれた身分証明書を取り出して見せた。本物なのかどうかは彼女には判断がつかない。記載を信じるならば、彼は間違いなく医師のライセンスを持っていることになる。
 彼が名乗ったように、河原貴秋と記されている。年齢は二十二歳。ライセンスの所得は十七歳で、更に驚いたことに国際免許だった。島国語をはじめ、才国語と央国語でも記載がある。
 彼女はそっと、目前の貴秋の顔を見た。悪い人だという感じはしない。
 けれど、こんな片田舎で、これほどの資格を持ちながら独りきりで過ごしている。まるで若くして隠棲しているかのように思えた。
 彼女は彼の素性をもっと知りたいと思ったが、自身のことを振り返ってやめた。
 今の時点では、素性が疑わしいのは自分も同じなのだ。彼には明かすことのできる過去がある。それを信じるのか信じないのかは、こちらの問題でしかない。
 過去を失った自分よりも、彼の方がずっと信用に値する。この状態で、彼女が一番に疑わなければならないのは、他人ではなく自分なのかもしれない。自身が記憶を失う前に、なにか事件を起こしていないとも言えないのだ。
 得体の知れない人間を、一ヶ月も介抱してくれた。それだけで貴秋の人間性は、十分に推し量れる。彼はお人好しなのだ。
 そんな人を疑うことは、罪のような気がした。



 暗い穴の底へ落ちていくような気がしていた。先日までの記憶は全てが輝いているのに、これからは、美しい色彩を欠いたように、暗い日々が始まるように思えてならない。
 ケビン=ウォーレンサーは研究室の片隅で、重い溜息をついた。
 絶望するというのは、こういう心持ちなのだろうか。わだかまった翳りを払うように深呼吸をしても、内に宿る暗い絶望は晴れない。
 研究室の窓からは、施設の中庭を見ることができる。外では雨が降っていた。雨足は弱く、水滴が物を弾く音も聞こえない。
 霧のような細雨は、この才国特有の降り方である。
 大陸の西から吹く風の影響を受けて、そのような気候になるのだ。雨季は秋から冬にかけての季節にやってくる。
 ケビンは細い雨が地面に届くのを見ながら、外気の肌寒さを想像した。
 それでも、自分の心の方がもっと寒々しい気がする。枯葉のように、全てが希望を失い色あせていた。
「ケビン、入ってもよろしいですか」
 二度、研究室の扉がノックされた後に、聞きなれた声がした。ケビンが扉のロックを開錠すると、訪問者が顔を見せた。
 ケビンが所属する研究チームの責任者、クロード=スタンリーである。彼は生粋の才国人で、先日で三十三歳を迎えたばかりだ。
 才国は誇り高い騎士を生んだ国柄で、今でも国の象徴として王が顕在する。才国の歴史を示す建造物は格式高く、細工も美しいものが多い。街並みにも、そのような国の雰囲気が溢れていた。
 クロードは誇り高い才国に生まれ、立ち居振舞いもそれに似合うかのように、優雅だった。美しい銀髪が、彼の歩調に合わせて揺れる。
 一方、ケビンは地図上で才国からもっとも遠い陸国の出身だった。十八歳の時にクロードに能力を乞われて、この研究施設に入ったのだ。それからは四年近い月日が流れた。
 陸国は世界一、国土が広い。大らかな国で自由を理念として、奔放であり、また強大な国だった。
 ケビンも母国を愛する気持ちは強い。けれど、才国にあるエデンの研究員になれるというのは、国境を越えて名誉なことだった。
 エデンは医療工学において権威を誇る機関である。世界に名を馳せる財団が支援し、常に最先端の技術が集結している。
「顔色が、よろしくありませんね」
 クロードが眉を曇らせながら、歩み寄って来た。
 ケビンの金髪は黄味が深く、癖毛でふわりと柔らかい。南の海原を思わせる紺碧の瞳に、翳りが見え隠れしていた。憂鬱を示す顔色の悪さが、瞳の色合いまで鈍らせているように映る。
 それほど広くない研究室は、個人のための部屋でもある。エデンに勤める研究員は、過程によっては泊り込んで作業をする。そのため、一人一人に研究室と称して、寝泊りもできる個室が用意されていた。
 ケビンは傍に立つクロードに微笑みを向けようとしたが、それすらも今は苦痛だった。クロードはただ慰めるように彼の肩に手を置いた。
「無理もないですね」
 責任者であるクロードはまだ若い。しかし有する権威は絶大である。ケビンも当初は物怖じしたが、今では素直に慕っていた。クロードは何事にも敏く高潔だが、人に対する態度には奢った所がない。穏やかな人柄だった。
「しかし、そう気落ちすることもありません。あなたの妹の手術は無事に行われます」
「え?」
 ケビンが驚いたようにクロードを見た。
 彼は穏やかな微笑みを浮かべて、ただ頷いた。新緑の色をした瞳に、驚愕したままのケビンの顔が小さく映っている。
「ウォーレンサー家の法外な要求額は、一時的にエデンが肩代わりします。ケビンは何も心配しなくてよろしいのですよ」
 信じられない事の成り行きに、ケビンはすぐに言葉が出てこなかった。クロードが率いる研究チームは先日大変な失態を犯したのだ。そこから派生する損害は計り知れない。責任問題については、まだ審議が続いている筈だった。
「しかし、クロード博士。研究成果の行方は未だわからない。財団との契約が白紙に戻ることは間違いありません。……博士の立場も危ういのに。俺の個人的な事情で、これ以上迷惑をかけるわけにはいきません」
「ケビン。――人の命に関わることです。あなたの妹にも余裕があるわけではありません。移植は予定通り行われます。そんな難しい顔をせずに、喜んでほしかったのですが」
「それは、もちろん嬉しいですが……」
 ケビンの妹は白血病なのだ。
 現代の医療技術は、エデンを中心に躍進を遂げている。義体機器と呼ばれる義臓器の移植も、一般的に行われる時代だ。人は例え体の一部を失っても、義体機器によって、ほぼ元通りの機能を取り戻すことが出来た。
 薬剤の進歩も著しく、部位によっては癌の特効薬も完成をみた。
 しかし、それらの医療術を用いても、ケビンの妹を完治させることはできなかった。
 薬剤と医療の進歩によって、白血病に有効な薬物療法も生まれた。治癒率は既に七割を超えたが、百パーセントには至らない。良好な経過を辿っていたケビンの妹の病は、運悪く再発したのだ。
 完治させる方法は今も昔も同じだった。骨髄移植しかない。
「あなたを苦しめるウォーレンサー家との確執も、これで幕が下ります。あなたは、これで一族を捨てることができる」
 ケビンはただ頷いた。
 彼の妹は、名をヘレンと言う。ウォーレンサー家は陸国の南では知らない者がないほどに名の知れた豪商である。ケビンの祖父母が一財産を築き、長男であったケビンの父親が跡を継いだ。しかし、一族の確執は、そこからはじまったのだ。
 祖父母が亡くなってから、日を経るごとに、一族の醜悪さは目にあまるようになった。ケビンの両親が、幼い息子と娘を残してこの世を去ったのは、祖父母が亡くなってから五年と経たないうちである。
 それが一族の仕業だったのかは、ケビンには知る術がない。両親の残した財は、そのまま息子であるケビンと妹のヘレンに託された。叔父が後見についたが、全てを奪われるのに、一年もかからなかっただろう。
 ケビンは、そんな仕打ちを恨みに思ったことはない。既に、自身の興味は一族の執着とは違う所にあった。クロードに認められて声をかけられたのは、そんな矢先である。両親と共に育った母国に愛着はあったが、一族には何の未練もない。ケビンは二つ返事で、妹と共に二人きりで才国へとやって来たのだ
 ヘレンが再発するまでは、一族との縁は切れたのだと安堵していた。
 しかし、運命は皮肉だった。ヘレンの命綱は、ウォーレンサー家が握っていたのだ。血液の型は兄弟をはじめとして、血縁に適格者が多い。ケビンは藁にもすがる思いで、一族に協力を求めた。適格者は、運良く一族の中にあった。
 ウォーレンサー家は、その事実を知ると再びケビンに対して浅ましい要求を突きつけてきた。骨髄の提供に、法外な値をつけたのだ。
 エデンの研究チームが、近々大きな研究成果を財団に披露するのは、周知となっていた。メディアを通じて、ウォーレンサー家にも伝わっていたのだろう。
 契約が成れば、チームの一員であるケビンにも報酬がある。
 法外な値は、ケビンに与えられる報酬額に等しかった。
 医療の功績により、移植に臨んでも命の危険性はないに等しい。一族の背負うリスクなど、ささやかなものだ。
 それでも、ケビンはウォーレンサー家のやり方を知っている。妹の命と引き換えなのだ。抗う術はなかった。
「ケビン、暗い顔をしていては、ヘレンが可哀想です」
「――はい、博士。ありがとうございます」
 ケビンが深く頭を下げた。
 妹が命を取りとめるのなら、これ以上の望みはない。それで全てが満たされるはずなのに、ケビンには、それだけを素直に喜ぶことの出来ない理由が残されていた。


 夕刻になると、弱く降り続けた雨もあがった。
 エデンの広大な敷地を埋める芝が、しっとりと濡れていた。堅牢な棟は、雨に洗われたように佇んでいる。
 クロードは自身の研究室で、奥に配置されたソファにかけて本を開いていた。
「クロード博士、我々が犯したトップラボの失態について、審議の結果が出ましたよ」
 ノックもなく部屋に顔を覗かせたのは、クロードが最もその才覚を認めている研究員だった。名を菱川涼(ヒシカワ リョウ)と言い、クロードよりも六つ年下である。
 涼しげな美貌の持ち主で、島国を故郷とし、癖のない艶やかな黒髪に、紫紺の瞳を持っている。虹彩が黒というよりは紫を帯びているのだ。微妙な色合いは、黒髪に黒い瞳を持つ島国人の中でも稀である。
 クロードは無作法な訪問に、気を悪くした様子もなく視線を上げた。涼の携えているカードキーはクロードの研究室にも立ち入りが自由だった。それを快諾したのは、クロード自身であり、二人の間にある絶対の信頼を示している。
 クロードは鷹揚な仕草で、手にしていた本を置いた。涼が一続きになっているソファの端に掛ける。
 涼の内にある才能は、簡単には他の追随を許さないものがあった。クロードも一目置くほどの才能がある。
 二人が属するのは、義体機器の開発と移植を模索しているトップラボ(第一研究室)だ。義足や義手、義臓器においては、世界的な権威を誇っている。
 トップラボの研究員は、総勢十六人。四人で一つの班を構成し、四つの班から成っている。第一班の四人は涼とクロードを含めて、平均年齢が二十七歳と若輩であるが、今では揺るぎない権威を持っていた。エデンに与えた功績も、計り知れない。
 殊にエデンではクロードと涼をさして、双璧と呼ぶこともあった。
「結果など待たなくても、だいたいの予想はつきます」
 クロードは危惧している様子もなく、涼を見てゆったりと笑んだ。
「何事も形式が必要ですからね。厳しく見積もっても、謹慎と減俸と言ったところでしょう」
「当たりです。トップラボ第一班のメンバーには五日、責任者である博士には一週間の謹慎処分。そして、年俸の一割を削減。貴秋の処分は行方が確定するまで一時保留です。理由と思惑はどうあれ、今のままでは厳しい処分になるかと」
「――そうですか。まぁ、我々にはちょうど良い休暇ですね。彼の後方支援を完全に整えるには、時間が必要なところでしたし」
 余裕に語るクロードに、涼も笑みを浮かべた。
「ここまでは、全てが思惑通りに。ここに辿り着く為に奔走した甲斐もあったということですか」
「そうですね。人を疑うことは容易くありません」
 クロードの表情に憂いが漂う。
「しかし、残されたケビンを思えば、我々の企てたことは許されることではないのかもしれません」
「はい」
「貴秋の望みを叶えた事、それが正しいことだったのかもわかりません」
「はい」
 涼も表情を引き締めて頷いた。
 クロードが沈痛な面持ちで、吐息をついた。トップラボの第一班にはケビン=ウォーレンサーも属している。そして第一班の四人目は、河原貴秋。涼と同じ島国の出身で、ケビンの理解者であり親友であった。
 事件は数日前に起きた。
 河原貴秋がトップラボの研究成果を携えて、行方をくらましたのだ。
「貴秋の周辺には、陸国にあるヘヴンの協力を得て、最新の人型を配してある。けれど、貴秋は何も知らない」
 涼の口調が、自然と苦いものになる。貴秋が研究成果を携えて行方不明になる経緯は、彼らの助けがあってのことなのだ。
 貴秋が強く望んだことを、クロードと涼は認めた。それは、どのような理由があろうとも、思惑があろうとも、許してはいけなかったのかもしれない。
 陸国にあるヘヴンは、アンドロイド工学の最先端を行く。
 クロードは、今回の一連の成り行きを遂行するため、ヘヴンの責任者に協力をあおいだ。
 貴秋が望んだことを守るために、ヘヴンの作り上げた最新鋭の人型をボディガードとして依頼したのだ。
 この秘密裏な依頼には、多くの思惑がこめられている。クロードに全容を語られて、ヘブンは依頼を承諾した。
 ヘヴンの人型は、シズカと言う名を持って貴秋を追手から守る。
 貴秋の行き先は、クロード達が細心の注意を払って用意した。そう容易く見つかる筈はないが、用心に越したことはない。
「貴秋は、後悔していないのでしょうか」
 涼が呟くように問う。二人のいる部屋の照明が、ふわりと自動的に灯った。窓の外を見ると夜の闇が段々と深さを増している。クロードが気持ちを切り替えた。
「わかりません」
 きっぱりと言い切って、クロードはソファから立ち上がった。纏っていた白衣を脱いで、自身を戒めるように続けた。
「私達は、地獄に落ちるのかもしれませんね」
「―――博士」
 振り返ったクロードは、既にいつもの微笑みを浮かべていた。
「涼。我々にも思惑があるのは仕方のないことです。今後の予定を考えましょう」
「……はい」
 立ち上がると、涼も胸元にあるネームプレートを外す。歩き出しながら白衣を脱いで、腕に抱えた。
 二人が部屋を後にすると、自動制御である照明の光がふっと落ちた。


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サイトup 2004.5.29