Back * 目次 * Next

夢の果てで会いましょう

DREAM 1

 最初に自己紹介をしておくと、私は早坂あやめと言う。両親があやめの花が好きだったから、この名前が付けられたようだ。両親は幼い頃に亡くなっている。私は高校卒業までは、開業医の親戚宅で過ごした。
 叔父さんも叔母さんも子供好きだったけれど、子宝に恵まれなかった。そのせいか私はすごく可愛がられて育った娘だと思う。叔父さん達との生活は円満で幸せだった。
 今では私の本当の両親だと思っている。
 私は自分を運のいい娘だと信じて疑っていない。
 けれど、そんな私も大学生になった。一年前、自宅からは遠くて通う事の出来ない志望校に合格した。私は下宿する事になり、大学から近い場所に住まいを求めて、そして彼に出会ったのだ。
 彼というのは、もちろん私が訪れた部屋の主。三カ月前から付き合い始めた彼氏で、名前を山田次郎君と言う。
 山田君と出会ったのは、大学の入学式の何日か前だった。私は規律の厳しい学生寮へ入るのだけはどうしても嫌だったのだ。だって、学生生活を自由に謳歌することが野望だったし。でも叔父さんは寮の方が安全だ、女の子の一人住まいは危ない。寮にしなさい。といい続けていた。
 住まいについては家族会議で何度も議論する羽目になった。結局、入学式を数日後に控えて、私はまだ住まいが決まっていなかったのだ。
 そんな状況で焦っていた私が大学の見学に訪れると、山田君が桜の樹の下にたたずんでいた。今でこそ山田君と呼んでいるものの、彼は私より一つ年上なのではじめは山田先輩だった。
 今でもはっきりと覚えている。彼の横顔は夢見るように綺麗だった。こういうのを一目惚れというのかもしれない。私は思わず佇む彼をぼんやりと、魂が抜かれたような間抜けな顔で見つめていた。
 山田君は私の熱烈な視線に気付いたのか、ふわりと振り返って、そして言ったのだ。
「君は、まだ住む所がみつからないんじゃない?」って。
 何度思い返してみても、唐突な台詞だ。その言葉に驚きながらもうなずくと、彼はその時ニコニコと人懐こく笑ったと思う。
 その後話がどう進んだのかは、よく覚えてはいない。
 とにかく私は山田君の家に下宿する事になっていた。
 彼の家も、叔父さんの家に負けないほど広い家だ。
 山田君はそこに姉の瞳子さんと、瞳子さんの旦那さんの一郎さんの三人で暮らしている。関係ないけど、一郎さんは養子に来たらしくて山田姓なんだそうだ。
 下宿生活はいろんな面で、私には幸運だった。彼の家はとにかく学校から近い。そして、寮だ寮だ、と言い張っていた叔父さんも、山田家の人達に信用が持てたのか、一人よりは危険性も少ないだろうと賛成してくれた。
 そういう事情を経て、私は何の問題もなく山田家に居候させてもらっている。
 私が山田君(当時は山田先輩と呼んでいた)を好きだと自覚するのは、それはもうあっと言う間だった。桜の樹の下で見た時に一目惚れしていたようなものだから、当たり前である。きっと下宿の件がスムーズに決まったのも、私の恋心が関係していたのかもしれない。
 晴れて恋人同士彼だよと言えるようになったのが、今から三カ月前。その件に関しては、山田家の人々、瞳子さんや一郎さんの助力がものすごくあった事はいうまでもない。
 お話としてはそれでメデタシメデタシの筈なんだけど、これは単なる回想なので、物語はここで終わらない。それに付け加えておくこともある。それはもちろん山田君の事だ。
 彼には少しだけ、不思議なところがあった。出会い頭に私の住宅事情を見抜いたり、知らないはずの出来事を言い当ててみたり。
 それは、ただの偶然だったのかもしれない。
 でも、こんな訳の分からない状況に遭遇してしまうと、思わず彼の素性を疑いたくなってしまう。
 だって、ドレスを着たお姫様が彼の部屋にいるのだ。
 そんな光景、普通であるはずがない。
 私達は同じ屋根の下に住んでいるので、部屋の行き来なんて簡単だ。私はいつものように気軽に山田君の部屋に顔を出しただけだったのに。
 そこで目撃したのが、この異常な光景。
 雅やかなドレスで着飾った、人形のようなお姫様。
 私が呆然と立ち尽くして、山田君が苦笑していたのは、それ故である。
 そもそも今日は日曜日で、私は山田君とデートする筈だったんだよ。さっき一階で瞳子さんと一郎さんと朝食取りながら、そう話していた所なんだから。
「デートなんて羨ましいわ。いいわね、あやめちゃん」なんて、瞳子さんは羨ましげに言うし。
「どこへ行くんだ?」
 なんて、一郎さんもほほ笑んでくれた。うきうきしながら二階へ上がって、山田君の部屋のドアを二度ほどノックして。
 その時。
「……あ」
 って言う声が中から聞こえた。私はそれを「どうぞ」の意味と受け止めて、ガチャリと何の躊躇もなくドアを引いてしまったのだ。
 とりあえずこれが、私がこの異常事態に遭遇するまでの簡単ないきさつ。

 
「あー、えっとね。この人はジュゼット・エカテリーナ=ランカスターという人で、ちょっと手違いで、ここへ来てしまったんだな。ごめんな、あやめ。びっくりした?」
 山田君は、呆然と立ち尽くす私にそんな説明をしてくれる。
 頭の片隅で、今日のデートは駄目になるかもしれない、とかすかに思いながら、私は思い切り怪訝な顔をしたと思う。
 彼女の名前なんか聞いたって、どうしようもない。
 山田君のこういう状況の読めない無邪気さが好きだったりもするけれど。もしかして彼は私が彼女に自己紹介することを勧めているんだろうか。
「あの」
 一方、女の子の方は小さな声でそう言って、少し泣き出しそうな表情を作る。山田君はそれに気付いて、慌てて言った。
「わわっ。泣かないで。すぐに帰してあげるからさ。帰ったらここでの事なんて忘れてるし」
 彼はパソコンの前まで行くと、電源を入れて、しばらくカチカチとキーボードを叩いていた。
 山田君は私とジュゼットとか言う女の子を放って、五分位そんな事をやっていたと思うけど。
 私は呆気に取られてから、やっと彼に声をかける。
「ちょっと、山田君。パソコンなんていじってる場合じゃないじゃない。どうなってるのよ。だいたい、この子どこから来たのよ」
 山田君はそれでもカチャカチャとやっている。私は彼の隣まで歩いて彼の横顔を見る。
「どうかしたの?」
 山田君は、すごく狼狽したように顔が青ざめていた。
「戻らない」
 最悪だと言いたげな口ぶりだった。やがて、ピピーと言う機械音が鳴って、真ん中にTRABLEの文字が出た。
「嘘、だろ」
 彼はしばらく呆然と画面を見ていた。私はひたすら怪訝な顔をしているだけ。
 ひょっとして、この女の子は山田君がパソコンで作り上げて、それがどういうわけか実体になって、ここに現れたとか言う事かなと、勝手に漫画みたいな想像を膨らませていた。
 もしそうだとすれば、山田君はパソコンを使って人間を作り出す事が可能なわけで、これははっきり言って普通じゃない。
 あ、駄目だ。頭が混乱して来た。お願いだから、誰か筋道の通ったちゃんとした説明をしてよ。
「そうだ、兄貴に」
 山田君はそう言って立ち上がると、すごい勢いで部屋を出て行く。もう、私や女の子の事なんて眼中にもないみたい。私はジュゼットとか言う人形みたいに綺麗な女の子とその部屋に取り残される。
 ぼおっと、今日のデートはとりやめかな、なんて、また思っていた。
 
 
 でも、山田君は一分も経たない内に、一郎さんの腕を引っ張ってドタバタと部屋に戻って来た。一郎さんは部屋の中の私と女の子を見て、ボコッと山田君の頭をどつく。
「お前なぁ」
「イタッ。何するんだよ。それより兄貴。どうなってるんだよ。端末がトラブルを起こしてる。兄貴はマスターなんだから、何とかできるよね」
「おまえなあぁぁぁ」
 一郎さんは今にも脱力しそうな顔で山田君に言う。瞳子さんも山田君の部屋へやって来た。
「あら、まぁ。これは」
 彼女も部屋の中の私と女の子を見て、そう声を上げた。それにしても、瞳子さんは何でそんなに冷静でいられるんだろう。
「お前、状況分かって言ってんのか。どうするんだよ、あやめちゃんに、こんなとこ見られて」
 一郎さんはそう言って山田君を怒鳴る。良かった、私の視点から物事見てくれる人がいて。
「え?あ、だって、あやめの今の記憶はどうせ後で抜けてるだろ」
「馬鹿か、お前はっ」
「何だよ。今はそんな事言ってる場合じゃないだろ。端末のトラブルが」
「お前、何を勉強してきたんだよ。それでよく今までやってこられたなっ。確かに、このドレスの彼女は元の世界に戻れば記憶は抜けてるよ。でも、あやめちゃんは違うだろうがっ。彼女はここの人間なんだから」
「ああっ」
 一郎さんの台詞は、どうやら山田君に対してかなりの威力を持っていたみたいで、彼はそう一声叫んでから、私の顔をマジマジと見る。
「あ、あやめ」
「は、はい」
 山田君は、本当に殺される人間みたいな顔をしていた。
「ど、どうしよう、俺。嫌だよ、俺。あやめを抹殺するなんて事になるのは絶対に嫌だからな」
 ちょーっと待ってよ。抹殺? 確かに山田君はそう言った。抹殺ですって? じゃあ、何か、私は殺されなきゃならないの? 山田君に? ちょっと待ってよぅ。何がどうなってるのよ、これは。
「あやめは俺の彼女なんだぜ。絶対嫌だよ、俺は。それに俺だって死にたくない」
「でも、次郎。お前、規則で行くと」
「嫌だよ、嫌。俺あやめの事気にいってんだから」
 自分の命かかってて、こんな事考えるのは不謹慎だけど、今の山田君の言葉はかなり嬉しかった。って、それ所じゃないっての。
「そりゃ、俺だって嫌だよ。あやめちゃんとはもう家族みたいな仲なんだから」
「じゃあ、じゃあ、どうすればいいんだよ、マスター」
 山田君と一郎さんがもめていると、例のドレスの女の子が泣き出した。ま、確かに無理もないだろう。
 でも、私だって泣きたい。
 部屋の中は山田君の狼狽した声と、女の子の泣き声でものすごく騒がしい。戸口の所で立っていた瞳子さんは、見かねたらしくて渇を入れるように大声を出した。
「うるさいわね。静かにしなさいっ」
 良く通る甲高い声がその部屋の騒ぎを一掃した。ぴたりと静寂が戻って来る。
 ただ、女の子は大声で泣くのはやめたものの、しゃくり上げる声だけは止まらなかったみたい。
「いい? あたしの考えを言わせていただくけど。あやめちゃんが、この状況を見てしまったって言うなら、彼女の夢を操作して、これも夢だと思わせたりする事は出来ないの?」
「多分、無理だ。それに夢にせよ、これを覚えている限りは駄目なんだよ」
 一郎さんが答える。山田君の顔は苦悩そのものだった。
 瞳子さんは「そう」と言って大きな息をついてから、また顔を上げて自信たっぷりに言い切った。
「何だ、簡単じゃないの。あたしの時より遥かに簡単よ。だって、次郎君は彼女の事好きなんでしょ? そしてあやめちゃんも彼の事好きなんだから。次郎君の将来の奥さんとしてあやめちゃんを扱えばいいのよ。そうしたら、もう彼女に何も隠す必要はなくなるし、パートナーとして手伝ってもらえるわ」
 何だか瞳子さん、さりげなくすごい事を言ってない? と思ってる私を尻目に山田君と一郎さんは一瞬考えを巡らせた後で。
「ああ、成程」
「あっ、そっか」
 同時に言って、ほっと息をついた。それで二人はかなり理性が戻って来たようで、一郎さんはポンポンと私の頭を軽く叩く。
「ごめんな。しばらく、この状況の説明は待ってて」
「ごめん、あやめ」
 言って二人は、パソコンの所へ行く。一郎さんと山田君が何やら話を始めたみたい。
 ちょっと、ちょっと、それでいいのか本当に。
 まぁ、後でちゃんと説明してくれるなら、それまで待つけど。でも、気になる。山田君の奥さんがどーのこーのという言葉が。
「下に行こう。あやめちゃん。あ、彼女も。お茶を御馳走するわ」
 悩む私の前で瞳子さんはほほ笑む。ドレスの彼女をなだめるように、華奢な肩をポンポンと叩いた。ジュゼットはその彼女の笑顔に少し安心したのか、小さくうなずいて立ち上がった。私と瞳子さんとジュゼットは、山田君の部屋に彼と一郎さんを残して、下へ降りた。
 
 
 コポコポコポポ、と温かそうな音をさせて、ティーポットからカップへ紅茶が注がれる。
 私と瞳子さんとジュゼットは、ダイニングにある食卓の席についていた。紅茶の香りが鼻について、私は少しほっとした。立て続けの混乱も少し影をひそめたみたい。
「あなた、お名前は何て言うの?」
 瞳子さんがジュゼットに紅茶を勧めながら聞くと、彼女は桃色の唇を動かして自己紹介をする。
「私は、ランカスター公の娘でジュゼット・エカテリーナですけど、あの……」
 彼女の場合は、本当に私よりも訳の分からない状態になっているんだろうな。
「うふふ、取り敢えず名乗っとこうかしら。あたしは清水瞳子。あ、今は一応、山田瞳子って事になっているけど。トウコ、それでいいわ」
「トウコ?」
「そうよ」
 思うんだけど、瞳子さんってやっぱり美人なんだよね。真っ黒のストレートの髪を綺麗に長く伸ばしていて、黒目がちの瞳がどこか色っぽくて、大人の女性という気がする。一郎さんは一郎さんで大人の男性って感じで、全然タイプは違うけど山田君と同じ位いい男だから、この二人は本当にお似合いで、夫妻なんだけど。
 でも、今の瞳子さんの自己紹介は何だか変だったな。清水瞳子って一体何なの?
「じゃあ。あのね、ジュゼット。ここはあなたがいた世界とは違う所なの。分かるかな」
 また瞳子さんはジュゼットにほほ笑みかける。
「世界が?」
「そう。でも、すぐに戻れるけれど」
「じゃあ、ここにはお父様はいないんですか」
「そうよ」
 私、さっきから思っていたんだけど、彼女ってどう見ても外国人なのに、どうして日本語がこんなに流暢に話せるんだろう。
「じゃあ、私。ずっとここにいたい」
「え?」
 瞳子さんは明らかに驚いた顔をする。私も同じだ。
「帰りたくないって、なんで?」
 私が聞くと、彼女は顔を伏せて、小さな声で理由を話した。
「私、十六になったら結婚するんです。ソールズベリー伯家に嫁ぐんです。でも、私、結婚したくありません。私にはちゃんと好きな方がいます。だからソールズベリーへ嫁ぐのは嫌です」
 切々とした声で彼女は語る。大きな瞳にまたうるうると涙がたまり始めた。
「でも、ここにいたら、好きな人にも会えないよ」
「それでも、結婚は嫌です」
 私と瞳子さんは顔を見合わせた。
「ねぇ、ジュゼット」
 瞳子さんは優しい声で、彼女に語りかける。
「あたしには、あなたの世界の事はよく分からないけれど。どうにもならない事ってあるわよね。でもね、そのどうにもならない事を、まず変えられないかしらって考えて見るのよ。それで、結局それがどうにもならない事だと分かったら、それを受け止めるの。それでね、今度はこう考えるのよ。そのどうにもならない事の中で自分がどれだけ楽しく過ごせるかって。そして楽しく過ごせるように、努力もするの。あたしはそうやって生きているわ。どうかしら」
「でも、結婚だけは嫌」
「……そうね。世界が違うものね。あたし達の世界では、普通は本人の意志が決めるものね」
 瞳子さんは言って吐息をつく。何か考えているような表情だ。
 しばらくしんとしたまま紅茶を飲んでいたら、山田君と一郎さんが食卓へやって来た。
「さっぱり訳がわからん。管理局へ顔を出さないといけないかもしれないな」
「なんだろ。メインがいかれてるのかな」
「そんな事はあり得ないはずだろ。あれはあれで生きてるようなものだし。そんな大きなミスは許されないぞ」
「そうだよね」
 二人は私にはさっぱり理解できない会話を続けている。
「一郎さん。ジュゼットは帰れそう?」
「ジュゼット? ああ、彼女ね。まだ分からないけど。とにかく俺達と後で一緒に管理局の方まで行ってもらうよ」
「管理局?」
「ああ、そうか。あやめちゃんにいろいろと説明しないとな」
 一郎さんは瞳子さんの隣に腰かけた。山田君は私の背後に立ってる。
「うーんと、まぁ話して行くと、恐ろしくややこしいけど、一応説明してみるよ。まず、この世界があるだろ。この世界はあやめちゃんのいる世界だ。あやめちゃんはパラレルワールドって知ってる?」
「平行宇宙って奴ですか?少しずつズレた世界が無限に並んでるって」
「そう。世界の空間は何もここ一つじゃないと仮定する。それで、その平行宇宙が無限にあって、同じように、その空間と空間の裂け目には無限に空間の隙間というか空白地帯というか、穴があるとする」
「はぁ」
「で、また話は飛んで。人間は夢を見るよね。夢は心理学の分析で行くと、人間の深層心理に基ずいているから、その人の心の状態を示しているっていう学説がある。それは、俺もその通りだと思うんだ。それに、夢はその人の心に影響することもあるよね。あまりひどい夢を見て、それをもし万が一覚えていると、後味が悪くなったり悩んだりする事だってあると思う。最悪の場合はショック死してもおかしくない。そう考えると、夢には危険な面もある。言ってる事、分かるかな?」
「はぁ、何となく」
 私が呆然としつつも頷くと、一郎さんはほほ笑んでそのまま先を続ける。瞳子さんは立ち上がって、一郎さんと山田君の紅茶の用意を始めた。
「でも、あやめちゃん。夢で死んだ人がいるって聞いたことある? 立証できないだけかもしれないし、夢で死んだ人もいるかもしれないけど、まぁ、滅多にないよね」
「はい」
「それは、夢がコントロールされているからなんだよ」
「え? 誰に?」
「うん。今から話すけど。この世界ってすごくよく出来ていて、そういう問題には境界線がある。これ以上人に精神的負担をかける夢は見せないという法則が働くようになっているんだ」
「はぁ」
 それって、本当だろうか。
「その前に言っておくけど、夢はね、それ自体で一つの世界になっているんだ。だからどんな支離滅裂な夢でも、それ一つで世界なんだよ。世界には過去、現在、未来、それに伴う無限のパラレルワールドがある。そして、パラレルワールドは増えて行くものであるって言うのは分かる?」
「分からない、です」
「そうだな。じゃあ、一つの世界を基準にしてパラレルワールドがあるとする。すると、江戸時代までは全く同じで、そこからずれた世界もある。それから、今よりまだ未来でズレル可能性のある世界もある。と言うことは、時間が経つにつれてパラレルワールドはどんどん増えて行くよね。それで増えた世界にもまたパラレルワールドが生まれるとすると、それはもう際限なく増えて行く。無限っていうのは測る事ができないって意味じゃなくて、限りが無いんだよ。増えて行くんだから、当然無限だよね」
「はぁ」
「で、そうして世界を考えて、また夢の話に戻って来るけど。さっきも言ったように、夢もそれ一つで世界なんだ。でも、その世界は夢を見てる人が作ったんじゃなくて、無限にあるパラレルワールドの中の一つ。人は深層心理に基ずいて夢となる世界を選んで見ているってそういう事だよ。パラレルワールドは無限だから、どんな夢でも用意できる」
「……そ、そうですねぇ」
「大丈夫? あやめちゃん」
「はぁ、何とか。要するに無限にあるパラレルワールドの中の世界を、人は毎晩毎晩、自分の深層心理に基ずいて選んで見ているって事ですよね」
「物分かりがいいね。そういうこと」
「あれ? でも、夢の中で自分が入って行くと、そのパラレルワールドに干渉する事になって、その世界自体の未来が変わってしまうと思うんだけど」
 私が首を傾げると、背後で山田君が「おおー」と感嘆の声を上げた。
「すげー、あやめ。ちゃんと理解してる上に、そんな突っ込みまで入れるなんて」
「だって、私これでも高校の頃は物理とか化学とか好きだったもん。だから本当は理系に行きたかったの。だから今でも、化学雑誌はよく読んでいるもんね」
 一郎さんは目の前で嬉しげに笑っている。
「良かったな、次郎。あやめちゃんなら大丈夫だよ」
「俺もそう思った」
 瞳子さんがカチャカチャと山田君と一郎さんにお茶を運ぶ。
「でも、一郎だって、あたしの頃よりはよっぽど説明がうまくなってるんじゃない? あたしの時なんて、もう支離滅裂で全然分からなかったじゃない」
「まぁ、たしかに瞳子の時はなぁ」
 でも、やっぱり、何だか全然この場の状況は理解出来ないんだけど。
「それで、続きは?」
「ああ、えーっと、まずあやめちゃんの質問に答えると、パラレルワールドは無限だから、自分のいる世界も無限にあるわけ。そこで、夢ってのは、ほら、自分がこうしたいとか、あっちに行きたいとか思っていても思い通りにならなかったりするだろ? 要するに、その世界のもう一人の自分と合体してる状態なんだよ。だからその世界のもう一人の自分が経験している事を、そのまま夢を見ている本人も経験するわけ。だから自分であって自分ではないわけだし。合体したりただの傍観者になったりするわけで、どっちにしても、その世界には干渉していないんだよ。分かる?」
「ええーと、だから、どっちにしても、夢では自分の思いどおりにはならないって事ですよね」
「そう。思いどおりになったとしても、それはその世界のもう一人の自分と、夢を見ている自分の考えが重なっているだけの事なんだよ」
「なんとなく、わかりました。じゃあ、このジュゼットもその無限にあるパラレルワールドの中の女の子なんですね。だから、こんなに日本語が上手なんだ。たしかに日本語しか知らない人は、日本語の夢しかみないもの。そっか、日本語の世界を選んでいたのか」
「ほんと、物分かりがいいな。そういう事だよ」
「あ。ちょっと待って。でもジュゼットがここにいると言うことは、干渉している事にならないですか? だって、ジュゼットの世界では、今彼女がいなくなっているんでしょ?」
「うん。だからトラブルなんだよ。でも時々こういう事はあるんだ。でもその場合は、ちゃんと修正されるようになっている。それで、まぁ、今までのは長い前置きで。その、仮定していろいろ話していたんだけど……」
「現実なんでしょ。もう、わかってます」
 信じられないけど、ジュゼットがこんな所にいて、こんな話までされたら、嘘だとは思えない。それともこれも私の見ている夢なのかな。それなら一番話はてっとり早いのに。目が覚めたらこのややこしい事態も全てジ・エンド、なんだから。でも、そういうわけにはいかないみたいだな。
 だって私、今眠っていないものね。一郎さんは目の前で少し苦笑している。
「で、まぁ。驚かないでほしいんだけど、パラレルワールドには階層(レベル)があるんだよ」
「は? 階層(レベル)?」
 私が声をあげると、一郎さんは少し困った顔をする。
「これは、この世界でずっと何も不思議なく暮らして来た人間には抵抗がある話だと思う。実際瞳子がそうだったし。あのね、実はこの世界より上にも下にも世界があるんだよ。で、階層が上ってのは、要するにこの世界に境界線を設定して管理しているって意味なんだ。パラレルワールドは無限に続いてるけど、ある何かを超えたら、それまでのパラレルワールドよりも階層が一つ上がるらしいんだよ。だから上にも下にも無限に階層の違う世界がある。それで、上から管理されて、下を管理しているって繋がりがあるらしいんだ」
 駄目だ。頭がもうついて行ってない。パラレルワールドと夢の繋がりの話は、まぁ、科学雑誌なんかの影響で何となく理解出来たけれど。
 世界に階層があって、どうとかこうとか言われても、よくわからない。
「ああ、あやめちゃん。いいんだよ、わからなくて。とにかく、この世界を管理している世界があるんだよ。で、この世界の場合に何を管理されているかと言うと、夢なんだ。夢が管理されている。夢を管理するという事は、当然この世界のパラレルワールドを全て管理することになる」
「はぁ」
「まず、パラレルワールドとして並ぶ世界同士が決して交わらないように管理している。なぜかと言うと、世界同士が干渉しあうと無茶苦茶になるからなんだ。世界が無茶苦茶になった場合、当然階層も何も関係なく全ての世界に影響が出て、それはどんどん波紋を描いて崩れて行く。あ。だから、そういう法則があるって思っていればいいよ」
「は、ぃ」
 よくわかんないけど、まぁいいや。一郎さんと山田君の事が分かって、さっき言っていた奥さんがどーのこーのという事が理解出来ればいいんだから。
 この辺りの事は簡単に、聞き流してしまおう。
「それで最初に話したけど、パラレルワールドである世界と世界の間にも、無限に空間があるって話をしただろ」
「えーと、そうだったかな」
「まぁ、そういう事にしておいて。空白の無の世界も無限にあるわけだよ。上の世界はそこに管理局を置いているんだ。って言っても、その管理局は上の世界の生命体かもしれないけどね。世界の階層が上がると、どうやら人類とかの概念もなくなるみたいだから。俺達は勝手にそれを管理局と呼んでいるけどね」
「はぁ、そうですか」
「まぁ、この辺りの事は、実は俺達もよく知らない。とにかく、それで俺と一郎はその夢に関わる管理局の補佐をやっているんだ」
「一つ、聞きますけど。じゃあ一郎さんと山田君って実は人類じゃないとか?」
 背後にいた山田君が素早く私の頭をはたく。一郎さんも笑っていた。
「違う違う。補佐はこの世界から選ばれるし、多分俺達の他にも違う分野の補佐がいるはずだしな。それに、補佐って言ってもそんなに大した事をやっていないし。知っているだけだよ、今まで話した知識みたいなものをね。で、時々ジュゼットのようなトラブルがあった場合、元の世界に戻すだけで」
「あ、何だ。じゃあ、話がすごかったわりには大した事ないんですね」
「まぁ、そういう事。でも、あやめちゃんにはもう他人事じゃないよ。当然だけど、補佐に当たる俺達には、いろいろと制約があるんだ。その中には、今まで話したような事を、絶対に他人に知られてはいけないって事もある。なぜなら、誰かにそれを知られて、科学者が目をつけたりすれば、絶対に今ある世界の法則が覆されて混乱する。要するに世界が歪んで、そこから全てが崩壊する可能性になるんだ。だから、上の世界はそう言った場合、世界が崩壊する前に、歪みの時点で修正を入れて元に戻す。そして、それに関わった者を世界から抹殺するんだよ。そういう者を生かしておくと、また同じ事が起きるかもしれないからね。しかも、抹殺は行方不明とかではなくて、元から存在がなかった事になるんだ。階層の違いで上からはそんな修正の入れ方や抹殺が出来るんだよ」
「こ、怖いですね」
「そう。世界を崩壊させないために、色々と厳しい面もあるよ。補佐につく人材を選ぶために、上の階層は人の遺伝子を分析しているようだし。そこで、あやめちゃんだけど。あやめちゃんは、ジュゼット嬢を見てしまった。これは明らかに上の階層、すなわち管理局の制約を破っている」
「い、一郎さぁん」
 私は思わず、情けない声を出してしまう。山田君がポンポンと私の頭をたたいた。大丈夫って言っているみたい。
「さっき瞳子が奥さんがどーのこーの言ってただろ。さっきも言ったように、管理局は人の遺伝子を見ている。補佐に相応しい遺伝子を維持して行くためには、新しく探すよりも、その遺伝子を受け継いだ子孫の方がてっとり早いらしい。そこで管理局は、補佐の婚姻相手にだけは全てを知られても良いって条件を出しているんだ」
「え。ちょっと、待って。じゃあ、じゃあ、私はもう山田君と結婚して、彼の子供を生まないといけないんですか」
「そういうこと」
 これは、少しショックだった。私は山田君に思い切り惚れているわけだから、相手には文句は言わない。でも、何なの? このなし崩しな展開は。これじゃあ強制じゃない。
 そう思って落ち込んでいる私を見て、山田君は誤解したらしく、私の隣に周り込んで来て、私の顔をのぞき込む。
「あやめ? やっぱり俺じゃいや? そりゃ、そうだよね。誰も結婚まで考えて付き合ってるわけないし。ましてまだあやめは大学の二年になったばかりだし」
 そんな事を言ってるんじゃない。ないけど、悔しい。私はそっと山田君の顔を見る。彼の顔は完全に曇っていた。何だか、そんなに落胆した彼の顔を見ていると、私のこだわりなんかどうでも良くなってしまう。
「一つ条件があるの」
 私は笑顔で山田君に宣言する。
「時期が来たら、婚約指輪もちゃんと頂戴ね。それからプロポーズもちゃんとしてよ。じゃないと、絶対結婚なんかしてやらないし、子供なんて生んでやんない」
「あやめ!」
 山田君はぱっと表情を明るくして私を抱き締めた。一郎さんがにこにこと笑ってる。
「あやめちゃん。とにかく、今言った事は一応、他言無用だよ、って言っても普通の人はまず信じないけど。管理局もそういう人間の性質を知っているから、抹殺まではされないよ。ま、次郎みたいに他の世界のモノを見られてフォロー出来なかったらマズイけどね」
「わ、分かりました」
 山田君の腕ごしに私は彼に返事しつつも、頬が真っ赤になるのが自分でも分かった。瞳子さんもほほ笑んでいる。
「ちょっとちょっと、山田君ってば」
「絶対、大切にする!」
 ぎゅうっと私を抱き締めて、彼は言う。そうだよね、山田君ってこういう人だったよね。いいよね、別に。二十歳で結婚してる人なんてたくさんいるんだから、この年で結婚相手が決まったって、何も変じゃないよね。
 それに山田君は私がすごく好きになった人なんだから、何も不満なんてないよね。
 山田君の腕ごしに食卓を眺めながら、私は少し幸せな気分に浸っていた。


Back * 目次 * Next