目次 * あとがき

魔女の爪痕

呪われた王子の物語

 肖像画を切り裂く音がする。
 長い廊下の果てに、王子の部屋が見えた。
 宮殿の奥に位置する塔。王子の住まいは陽光に照らされず、暗い。
 たどり着いて扉を叩くと、ものすごい勢いで王子が顔を出した。
「ロリスッ。おまえ、今日という今日はふざけているのか」
 顔に仮面をした王子の怒声が、辺りに響く。
 これは完全に頭にきているようだ。僕は大袈裟なくらいに深く息をついてから、王子の仮面を睨む。
「僕はふざけてなんかいませんよ」
 仁王立ちする王子の隣をかいくぐるようにして、室内へ踏み入った。
「ああっ、何てことをするんですか。肖像画を破るだけでなく、げほっ」
 ぱちぱちと音をさせて、何かが室内で燃えている。
「お、王子。部屋の中で物を燃やすなんて」
 慌てて花瓶に生けられた花ごと水をぶっかける。それでも消えきらない火は、踏みつけて消した。部屋の窓という窓を開けて回る。
「王子、煙に閉じ込められて死ぬ気ですか。火事になったらどうするんですか」
「はっ、どうせ醜い私が死んだって、誰も哀しんだりしないし」
「もうっ、哀しむに決まっているでしょう。王も王妃も泣き暮らしますよ」
「ふぅん。どうだろうねぇ。どうせみんな私の亡骸を見て笑うに決まっている。いっそうのこと灰となって消えるほうがロマンチックかもしれないな」
 くっ、なんて卑屈な物言い。
「ともかく、見合い相手の肖像画を火にかけるなんて、失礼ですよ。名家の姫ばっかりなのに」
「私はね、ロリス。ブサイクは嫌いなんだ。醜いものは私を救ってはくれないのだよ。なのに、おまえときたら、ブスばっかり紹介しやがって。もっと厳選しろ、厳選」
「はぁ?王子、いい加減にして下さいよ。僕は今回の肖像画には自信があったのに」
「お前の目は節穴だからな。いいか、美しいというのは、こういう顔を言うんだよ」
 王子は得意げな微笑みで、彼の背後にある肖像画を示した。描かれた人物は、たしかに目を奪われるほどの美貌の持ち主だ。
 束ねられた金の髪は、輝く陽光の色。深い眼差しは、晴れた海原を思わせる紺碧を映す。
 豪奢なマントに身を包んだ、凛々しい立ち姿。
 きっと誰が見ても、今まで見たこともないくらいの美しい人だと口にするだろう。
 そして、実際この肖像画の人物は、そんな賞賛を浴びて生きてきたのだ。
 今から、一年くらい前までは。
「王子のお顔が美しかったのは、僕だって知っていますけどね。そんな過去の栄光に縋っていたって、何も解決しませんよ」
「過去の栄光じゃないだろうが」
「過去の栄光ですよ」
 王子はくるりと背を向けて、部屋の隅へ歩いていく。「傷ついた」と呟いて、肩を落とした。さすがに無神経な発言だっただろうか。
「王子、僕が言い過ぎました。申し訳ありませんでした」
「どうせ、おまえには他人事だからな」
 いじけたまま、王子は大きな窓から外を眺めて、遠い目をしている。
「だから、言い過ぎましたってば。一体、王子の好みはどんな女性なんですか」
 王子はこちらに向き直り、自分の肖像画を指差した。
「私に負けないくらいの美貌だ。それしかないだろう」
「……わかりました。見つける努力をします」
 僕は中途半端に燃えた肖像画の残骸を片しながら、力なくそう答えた。
 出来ることなら、僕だって王子の力になりたい。彼がまだ光り輝く美貌を手にしていた頃から、ずっとお傍について来たのだ。
 失われた王子の美貌。その悲劇の発端は、数百年前に遡る。
 王国が望んだ、魔女との契約。
 それは国の揺ぎ無い平和。けれど、魔女との契約には必ず爪痕が残される。
 魔女の爪痕。それは呪いなのだ。
 呪いを受ける、約束の王子。
 それが、僕のお仕えしている王子だった。
 十八の誕生日を迎えた日、王子には恐ろしい呪いがかかった。
 輝くばかりの美貌が、一瞬にして失われてしまったのだ。
 以来、王子は仮面を被り、自ら賑やかな宮殿を出た。王宮の奥にある塔に、一人で住むことを決意されたのだ。
「だけど、王子」
 僕は室内を元通り整えてから、大きな椅子に掛けて本を開いている王子に声をかける。
「王子の呪いを解くのが、絶世の美女だとは限らないのでは……?」
 王子は本を開いたまま、こちらを見た。
「へぇ、ロリス。では、私にかけられた呪いは、どうすれば解けるわけかな」
「それは、……ただ『真実美しいものを己のものとする』という方法が、別の何かを示していることはないのかと」
 これは単に僕の希望なのかもしれない。
 王子の美貌は、絶世と語られるほどの美しさだ。同じくらいに美しい人など、きっと世界中を探しても、簡単には巡りあえない。
 王子の美しさはそれほどに稀有なものだった。だからこそ、悲劇を背負うことにもなったのだけれど。
 美しい人を探し求める以外に、何か方法があればいいなと思ったのだ。
「ロリス」
 何かが気に障ったのか、王子は無造作に本を置く。
「奪われた美貌を取り返すのに、同じだけ美しい者を手に入れる。これが美姫を妃にするという以外に、どういう意味があるんだ」
「それは、たしかにそう考えるのが自然だと思いますが」
「おまえは、私の唯一の希望を奪って楽しいのか」
「そんな、王子。僕はそんなつもりでは」
 しばらく気まずい沈黙が続いてから、王子は僕を見る。仮面では、彼の表情がわからない。
「ロリス。今日はもういい、さがれ」
「はい」
 唇を噛み締めて背を向ける。部屋を出てから扉が閉まりきる間際、王子の声が追いかけてきた。
「部屋を荒らして、お前に手間をかけた。悪かったな」
 たとえお顔から美しさを奪われても、王子の心は変わらない。変わらないでいて欲しい。僕は閉ざされた扉に向かって一礼をしてから、その場を辞した。


 ある日、王宮から塔へと続く通路を進んでいると、突風が吹いた。瞬きをすると、王子がものすごい勢いで僕を通り越してゆく。
「どけっ、ロリス。許さん、あのハゲ親父」
 仮面に隠された顔は、きっとものすごい形相だったに違いない。一陣の風が去った後、取り残された僕はぽかんとしてしまった。
「王子。一体、どうなさったんですか」
 僕は思わず後を追いかけてしまう。呪いがかかってから、王子が王宮に出入りしたことは一度もないのだ。飾り気のない塔とは違い、王の住まう宮殿は煌びやかで美しい。王子は派手でうっとうしいと手厳しい感想を述べていたが、本当は美貌を失った自分に、宮殿の輝きは相応しくないと思ったのかもしれない。僕はそんな想像を抱いていたけれど、怒りにまかせてあっさりと踏みこむ様子を見ると、単に僕が彼の心根を美化していただけなのだろうか。
 王子はマントの裾を翻して、一直線に王の部屋へ向かった。
「父上っ」
 よく通る声が、怒りを含んで震えている。王はきさくな方だが、さすがに侍従である僕が、許可もなく室内に踏み入ることは出来ない。開け放たれた扉の前で、王子の怒声に耳を傾けた。
「一体、どういうおつもりですか。他国の姫を招き入れるなど、何を考えておられるのです」
 それは王子が猛烈に嫌悪して断っていた話だ。王は息子の剣幕にも動じず、ゆったりと微笑みを返す。
「いやいや、王子。これがまた、ものすごい美姫なのだよ。おまえの美貌に負けないくらいに美しい。私は心を奪われてしまった」
「でしたら、父上のこの美しい宮殿に招かれたら良い。私の塔には一切出入りさせないで頂きたい」
「王子、うまくいけば美女を妃にもらって、ようやく呪いが解けるかもしれない」
 王は屈託なく笑うけれど、僕は王子の震えた背中が怖かった。きっと言葉も出ないくらいに怒っているのだ。王子の暴言がいつ炸裂するのかと、思わず目を閉じてしまう。
「――父上は、何も考えておられない」
 何かを押し殺したような、今まで聞いたことのない声がした。
 王子の爆発を覚悟していた王は、肩透かしをくらったように吐息をついた。
「おまえは何をそんなにこだわっておるのだ」
「……私は、こだわります。とにかく、父上。姫君のお相手はあなたがなされば良い」
 冷たく言い放ち、王子は踵を返した。こちらへ向かって来る王子と視線があったような気がしたけれど、仮面に隠された表情が、どのような思いに歪んでいるのかは判らない。
 そんな王子を見るのは初めてだった。僕は後を追う気になれず、とぼとぼと戻る。
「ロリス」
 宮殿の中庭を抜けたところで、声をかけられた。王の侍従であるエドガーだ。
「どうしたんだ、おまえ。また王子と喧嘩して落ちこんでいるのか」
「違うよ」
 彼は笑い、少しためらってから思い切ったように口を開く。
「なぁ、ロリス。王子にさ、たまには宮殿にも顔を出すように言ってくれよ。あの方の姿がないと物足りないんだ。晩餐会も舞踏会も、催しの全てが色褪せた感じ」
「王子は僕の言うことになんか、耳を貸さないよ。いつもやりたい放題なんだから」
 なげやりに言うと、エドガーは笑う。
「よく言うよ。本当は一番、王子のことを尊敬しているくせに」
「してないよっ。……とにかく、エドガーも王子にかけられた呪いを知っているだろ。仮面のままで晩餐会へ出席なんて無茶だよ」
 彼は残念そうに溜息をついて、中庭から見える塔のてっぺんを仰いだ。
「そうかな。俺はたとえ王子がのっぺらぼうでも、出席して頂きたいな」
 本当は僕だって同じ意見だ。王子の魅力は輝くばかりの美貌ではないと、声を大にして言いたい。
 僕は塔に戻り、王子の食事を整える。けれど、王子が戻ってくる気配はなかった。
 怒りに震えた、王子の背中。どうしてそこまで嫌悪するのか、僕にはわからない。閉ざされた王子の心。頑なに何かを拒んでいる。
 室内に飾られた、王子の肖像画。美しく凛々しい立ち姿を眺めてから、僕はそっと部屋を出た。


 王国に招かれている姫君には、一人だけ国から伴った従者がいた。リズという名の、小柄で可愛らしい侍女だ。
「王子様は、どうして姫様に会って下さらないのかしら」
 巻き毛を指で弄びながら、リズは途方に暮れていた。彼女は王子と姫君の対面を叶えたいみたいだ。
 王子は大人気なく、塔に閉じこもったまま日々を過ごしている。
 本気で姫君と会う気がないようだった。
「姫様もあちこち忍び込むなら、いっそうのこと塔に忍び込めばいいのに。そうすれば、ばったり王子様に会えるかもしれないでしょ」
 姫君も相当手のかかる性格をしているらしく、侍女にまぎれて宮殿のあちこちを探検していると言う。
 一国の王女らしからぬ行動。王子の我儘と良い勝負になるかもしれない。
「あんなに会いたいって言っていたのに」
 リズは大きな溜息をついた。お互い主に振り回されている立場で、僕とは似たもの同士だ。何とか力になってあげたいけれど、良い方法はないだろうか。
「あら、中庭で仲良くデート?」
 二人で頭を抱えていると、背後で声がした。咄嗟に振り返ると、一人の侍女が立っている。まるで顔を隠すように、頭から黒い布を被っていた。侍女の服には不似合いだ。
「――ひ、姫様」
 リズは卒倒しそうな調子で声あげる。目の前の侍女は小さく笑うと、するりと目深に被っていた布をとる。
 白い頬に、色づいた唇。澄んだ闇を宿した、夜色の瞳。濡れたような黒髪は地に届きそうなくらいに長く、艶やかに波打っている。
 肖像画に残された、王子の美しさに負けない美貌。見るものを魅了する、絶世の美女。
「あ、あなたは」
 僕は咄嗟に膝をついた。まさかこんな所で対面するとは思いもよらない。けれど、間違えようがない。王に招かれた姫君だ。
「あら、そんなに畏まらなくてもいいのに」
 他国から招かれた王女に、僕のような一介の従者が気安く接していい訳がない。
「ね、顔を上げて立って」
 姫君は膝をつく僕と同じ視線になるように、その場に座り込む。侍女と同じ身なりをしていても、あでやかな微笑みは色褪せない。
 姫君の美貌に呆けつつ立ち上がると、ようやく我にかえったリズが声を上げる。
「姫様っ、何ですか。その格好はっ」
「あ、これ?侍女に扮して街へおりてみたの」
「だからっ、どうしてお一人で勝手に出歩かれるんですか」
「だって、魔女の爪痕のある王国だから、色々と見て回りたかったのよ」
 リズは顔を真っ赤にして、姫君を叱っている。僕はこの一瞬で、彼女の気苦労を理解してしまった。どこの国に侍女に扮して出歩く王女がいるだろうか。
 リズの訴えを聞き流して、姫君はくるりと僕の方を向く。
「さて。いつもリズがお世話になっています」
「え?あ、そんな、とんでもありません」
 姫君は壮絶な美貌に、魅惑的な微笑みを浮かべた。僕はなぜかぞくりと背筋に悪寒が走る。
「そういうわけで、今から私を王子の処まで案内してくれないかしら」
「は?」
 後ろでリズが「姫様っ」と絶叫している。
「案内してくれないなら、私、あなたに乱暴されたって叫ぶわよ。今すぐ、ここで」
 笑顔のままで、姫君は恐ろしいことを言う。
「案内してくれるわよね」
 どう考えても、僕には拒否権がなかった。


「はじめまして、王子」
 姫君は僕やリズの制止をふりきり、塔に設けられた王子の執務室に踏み込んだ。さすがの王子も書類の溢れる机から振り向いたまま、石のように固まっている。
「あなたは国の責務に追われ、わずかな時間もとれないと伺いました。ですから、こうして私が出向いて参りました」
 姫君は毅然としている。侍女の服を纏っていても、あでやかな美貌がかすむことはない。王子も即座に彼女が招かれた美姫であると察したようだ。
「このように雑然とした場所へお越し頂くとはもったいないですね」
 王子は立ち上がり、姫君の前へ歩み寄ると膝をつく。姫君の非常識な訪問に対しても、彼は礼を尽くした態度を示した。
「話に聞いていたとおり美しい方だ。その美貌があれば、たしかに着飾る必要もありませんね。たとえ一国の王女とは思えない身なりで謁見に臨んでも、誰もあなたの非常識を責めることはなかったのでしょう」
 口調こそ柔らかだが、王子の怒りは明らかだった。姫君の手に仮面の唇を寄せてから、彼は立ち上がる。王子が一瞬背後に控える僕をちらりと見た気がした。僕はこの後のことを想像して、ただ身がすくむ。
 姫君は王子の辛辣な皮肉にも動じず、あっさりと謝った。
「私も許されるのなら、あなたとは綺麗なドレスを着てお会いしたかったわ。だけど、それでは身動きがとれないから仕方がなかったの。ごめんなさい」
 うわ、姫君。それ以上王子の燃え盛る怒りに油を注がないでほしい。
 姫君は王子の沈黙をどう受け取ったのか、無邪気に話しかける。
「あなたは臆病なのに、とても真面目なのね。それとも真面目だから臆病なのかしら」
「――姫。わかりました。今夜の晩餐会には出席させていただきますので、今はこれで」
 かみ合わない会話に疲れたのか、王子は終止符を打とうとする。けれど、姫君の動きは素早かった。背を向けた王子の腕を、すがりつく様にとらえる。
「駄目よ」
 姫君は呆然と立ち尽くす王子の仮面を、白い手でそっと撫ぜた。
「私にはわかるんだから。真実美しいものを、己のものとする。あなたは魔女の爪痕に縛られている。王宮の華やかさが嘘のように、この塔には何もない。美しいものを遠ざけた住処。――王子、あなたは美しいものを恐れているのでしょう?」
 姫君は全く検討違いのことを言っている。王子は何も語らず、ゆっくりと姫君と向かい合った。仮面の下の表情が読めない。
「どうして美しいもの遠ざけるの?あなたが真実美しいと思ったものを手に入れて、それでも呪いがとけないことを恐れているから?」
 王子は仮面の下で低く笑ったようだ。
「たしかに、姫のおっしゃるとおりです。私は美しいものを恐れている」
 低い声が、そう告白した。僕は耳を疑う。王子と姫君の語ろうとしていることがわからない。今までの王子を振り返ってみても、そんな素振りは感じなかった。
 感じなかった。――本当に?
 王子が美姫を求めながら、頑なにこだわっていたことは何だったのか。王宮を離れて塔に移り住んだ意味。姫君を嫌悪した理由。全てが、一つのことに繋がっていないだろうか。
「王子。恐れているだけでは、この仮面は外せないわ」
 仮面に触れる姫君の手をとって、王子は横に首を振った。
「姫、私はこの仮面を外すわけにはいかないのです」
 姫君はハッとしたように、動かない王子の仮面を見つめた。
「私は美しいものを手に入れてはいけない。美しい顔よりも、ずっと守りたいものがあるからです。ですから、姫。――私にはあなたも恐ろしい」
 王子の語っている成り行きが、僕には追えない。あと一息で何かがわかりそうなのに、わからない。王子の想いに辿りつけないもどかしさだけが残った。
「今夜の晩餐会には出席します。あなたとお会いするのも、それが最後になるでしょう」
 王子の言葉は穏やかに響いた。もうはじめのような冷ややかさは感じられない。
 姫君は黒硝子のような瞳で、食い入るように王子の仮面を見つめている。
「姫、この王国は穏やかで平和です。きっと、あなたにも気に入っていただけるでしょう」
 王子から離れて、姫君は小さく頷いた。
「今夜の晩餐会を楽しみにしています」
 まるで薔薇が花開くように、姫君は微笑んだ。


 王宮に設けられた晩餐会場は、まるで何かの記念祭のように飾り立てられてゆく。久しぶりに王子が参加するということで、嬉々として仕度を進める者達で賑やかだった。
「想像以上にすごいわ」
 聞きなれた声に、僕は飛び上がりそうになった。振り返ると、侍女に扮した姫君が立っている。
「これなら申し分のない舞台になるわね。私が我儘王女を演じる必要はなさそう」
「ひ、姫君。まだおいでになるには早すぎます」
 声を潜めて訴えても、姫君は動じることもない。
「私も気合を入れて着飾らなくちゃ」
 嬉しそうに呟いてから、姫君は僕を見た。
「ねぇ、王子も記念日に相応しいように、格好良く飾り立ててね。任せたわよ」
「は?記念日、ですか?」
「そうよ。私と王子のご対面記念日」
 がくっ。僕が目に見えて落胆すると、姫君は声をたてて笑った。
「冗談よ。本当はそんなふうに我儘を言って、特別に立派な晩餐会にしてもらおうと思っていたのだけど、必要がないみたいだから」
 姫君の言うことは、王子との対面を果たしたときも、今も、僕にはよく判らない。怪訝な顔をしていると、姫君は笑みを潜めて僕と向き合った。
「あなたが、最後に王子の素顔を見たのは、いつかしら?」
「え?それは、……一年前、です」
 王子に呪いがかかった日。最後に見たのは、呪われた王子の顔。それからずっと、素顔を見たことはなかった。仮面しか見ていない。
 姫君は僕の答えに満足したようだった。あでやかに微笑むと、賑やかな周りの様子を見回す。
「王子は人々に慕われているのね」
 まるで眩しいものを見るように、姫君は眼差しを細めた。


 晩餐会には、王宮に勤める者達も招かれた。これは王の采配によるものだけど、おかげで会場は舞踏会のような有様になっている。見事に着飾った姫君が現れると、その場でほうっと感嘆が漏れた。
 用意された席にはつかず、姫君は周りの人々に話しかけて輪を作っている。無邪気で人懐こい様子は憎めない。
 それにしても王子が遅い。不安を募らせていると、突然場内で歓声があがった。人々の喜びとは裏腹に、僕はほっと息をつく。姫君の要望に不平を唱えていたけれど、王子もきちんと盛装していた。仮面を被っていても、凛々しい立ち姿に変わりはない。
 王子の周りに人の輪が出来ると、姫君が何気なく僕のところへやって来た。
「ロリス、呆けていないで。あなたの出番よ」
「え?」
「私をみんなの前で、王子に紹介してほしいの。さ、はやくはやく」
 訳がわからないまま、僕は姫君を王子のところまで案内した。王子を取り囲んでいた輪が開けて、一本の道筋が出来る。
 王子は姫君の前で膝をついた。姫君も優雅に頭を下げて、二人は挨拶を交わす。
 みんなの注目が集まる中、姫君はふいに取り巻く人々を振り返った。
「皆さん、私をこの素敵な国に招いてくれてありがとう。そして、今日は王子の呪いがとける素晴らしい日です」
 僕は耳を疑った。姫君の白い手はためらわず、王子の仮面に触れる。王子も予想外の展開に戸惑い、なす術がないようだった。
 仮面が、外れてしまう。
 思わず目を閉じると、一呼吸遅れてワッと歓声があがった。怒号に震える場内。
 王子はその歓喜に負けないだけの姿で立っていた。
 美しくて、それ以上に懐かしいお顔。
「王子っ」
 胸の奥から熱い思いがこみ上げてくる。
 最高の晩餐会。
 姫君が予言したように、今日という日が記念日になった。人々の喜びの声が、王宮内を揺るがした。


 王子の呪いがとけた喜びは、王国中に伝染したようだ。数日を経ても国中がお祭り騒ぎで賑わっている。けれど、王子は再び塔に閉じこもっていた。
「王子、宮殿のテラスから、そのお姿を見せてはいかがですか」
「そうよ、王子。せっかく呪いがとけたのに、もったいないわ」
 姫君も当たり前のように塔に出入りしている。リズは彼女の振る舞いについて、もう諦めてしまったようだ。
 王子は苛々した面持ちで、僕と姫君を見た。
「この状況で、一体どこが喜ばしいんだ?」
「晴れて王子の呪いがとけたじゃないですか」
「あのな、ロリス」
 王子はなにが気に入らないというのだろう。
「私の呪いがとけるということは、王国が平和を失うということだ。私はずっとそれを恐れてきた。人々もその意味に気がつくだろう」
 王子は綺麗な眼差しに影を落とす。僕は王子の抱えてきた憂慮に、はじめてたどりついた。王国の揺ぎ無い平和を、彼はただ一人で守ってきたのだ。
「だけど、王子が一人で背負うなんて、間違えています」
 僕はこの国が好きだけれど、同じくらいに王子のことも好きだ。どちらかを守るために、どちらかを犠牲にしてもいいとは思えない。
「王子は真面目で臆病で、とても鈍いのね」
 姫君は可笑しそうに笑っている。
「呪いがとけた理由をわかっているかしら?」
「それは、――おそらくあなたのせいでしょう。あなたが真実美しい者だったから」
「あら?私はいつから王子のものになったのかしら」
「……言われてみれば、おかしいですよね」
 僕は黙っている王子を見た。姫君は全てお見通しよと云わんばかりの笑顔で王子に片目をつぶってみせる。
「王子は、ずっとそれだけがわからなかったのね。なぜ、自分の呪いがとけてしまったのか。だから余計に不安だったのね」
「あなたには、わかると?」
 姫君はあでやかに笑う。
「わかるわよ。王子の場合はすごく簡単だったもの」
 僕は見つめあう王子と姫君が何の話をしているのかわからなくなった。姫君はそんな僕にイタズラっぽく笑う。
「私は魔女の爪痕をたくさん見てきたわ。王子、魔女が美しいと思うものは、見た目の美しさではないのよ。美しい心なの。魔力に頼らない心を、魔女は真実美しいと思う。王子、あなたも気がついていたのでしょう。魔力によって守られた平和では駄目なのだと」
 姫君は立ちあがって、塔の窓から空を仰ぐ。
「この国を回っていて、人々に触れて、王子がとても愛されているのだとわかった。それは、王子が人々を想い、国を想っているから。あなたはとっくに魔力に頼らない平和を築こうと努力していた。そうでしょう?」
 王子は答えず、微笑む姫君を見つめた。
「あなたは、何者なのです?」
「私は一国の王女よ。――そして、人々が恐れる魔女」
 僕は目を見開いて姫君を見た。リズを振り返ると、彼女は頷く。これは驚きの事実だ。けれど、姫君を恐ろしいとは感じない。
「この塔には鏡がない。だから、王子は呪いがとけていたことに気がつかなかった。いいえ、気がつかないフリをしていた。魔力で守られた平和がとっくに失われていること。それを人々に知られたくなかったから。王子は人々が絶望することが恐ろしかったのでしょう?――でも、この王国は大丈夫。きっと、これからも平和だわ。あなたが守ろうと心を砕くかぎり」
 姫君は王子に駆け寄って、腕を引っ張った。
「だから、王子が不安に思うことも、責任を感じることもないわ」
「――そうかもしれません」
 王子は立ち上がる。久しぶりに見る晴れやかな笑顔だった。
「ねぇ、宮殿のテラスから手をふってみましょうよ。あなたと私なら、とても絵になるわ」
 姫君は臆面もなくそんなこと言って、王子を誘う。
 テラスに立ち、人々に笑いかける二人の姿は最高に絵になった。
 まるで王国の平和を象徴しているかのように、人々の声援がいつまでも響いていた。

呪われた王子の物語 END

目次 * あとがき


サイトup 2005.3.19

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